Abstractionという恐怖

世の中便利な物が溢れていてそれを楽しんで使うのはいいんだけど、無意識のままに消費を繰り返し、自分で物を創りだす作業をやめてしまうことに危機感を感じる。



iPadだって凄いしAndroid, 電子レンジや携帯電話だっていい。一つ一つの裏には今日も必死で働くエンジニアの姿があり、彼らが自分らに代わって問題に直面することにより更なる経験を貯め、それを活かして更なる優れた物を造る。

テクノロジーは進化を続け、更なるAbstractionがなければ理解できなくなる。
理解しようとする努力を怠り、受け手にまわることによって依存性が高まり恐怖心すら芽生える。



世の中のサービスを匠に使って自分の生活を豊かにするのはいい。でもそういった行動を積み重ねることによって自分が無能になり、何かを生み出す力が無くなった時、ただの消費者になる。

あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。

宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ



便利なツールは、今まで不便だった問題の上にいくつものレイヤーを重ね、問題をアブストラクトし分かりやすいインターフェイスになることによって使いやすいサービスになる。
でもコアな問題自体はまだ存在し、それを自分に代わって解決することによってサービスが受けられる。



自分ならどう解くか。
自分ならどう作るか。

問題に立ち向かう意識、解決しようという意識、創りだそうという意識。
ものを作る喜びを忘れたらただの消費者になる。



We are all makers


Stay Awesome!

Photo credit [twitter:@juhan88]