流行の生まれる国、生まれない国

昨日は企友会のセミナー「新しいビジネスのススメ」 に出席してきた。
講師の岡本さんが話させれた内容の一つに、モザイクカルチャーというバンクーバー独特の環境でビジネスをする難しさの話が印象的だったので、一言メモ程度に書きます。


ご存知の方もいるかもしれないけど、バンクーバーは多文化が共存し合い、お互いが相手の文化や生活スタイルを尊重しながら生きている




NYのように異文化がごちゃごちゃに混ざるわけでもなく、ひとつの文化が色を独占するわけでもなく、見事にブロックごとに国分けされた世界の縮図が仲良く(多分)生活している。





この地でビジネスをするにおいて、このモザイクな人口図はヒット商品や「流行」を生み出す最大の難関。



この地に来て間もなく、自分もこの異変に気づいた。



「流行」がない

日本のように、誰もが知る話題も少なく、今年はこのスタイルみたいな流行のファッションもある訳でもなく、ましては流行語大賞のような万国共通のギャグがあることもない。


初めは大きな違和感を感じ戸惑ったけど、今は妙に居心地がいい。
今の自分、そして恐らくここに住む人にある意識の中に、他人と自分は違うという前提が存在する。


隣の人は、肌も色も違ければ食べるものも、母国語も違う。
だから、彼ら彼女らが変わった服や行動をしていても、変とはそうそう思わない。

私と彼らは違うという前提があるから、お互いが同じじゃなくてもそれに対して違和感を感じないからだ。


ここに流行を生みづらい環境がある。
逆に言うと、日本には他人と私は同じという前提が多少なりともある。
相手は自分と同じようなものを食べ、同じような服を着ているだろうという前提があるから、自らがその枠から外れると違和感を感じる、または何が流行っているいるかも分かりやすい環境にある



この地でビジネスを展開し、それなりに大きくなろうとすると、必ず多文化を股にかけなければならない。
そうすると、内容も個性重視や文化の色が強い商品より、より大衆むけ、誰もにフィットするタイプの商品になりがち。


バンクーバーにあるショッピングモールに入っている店はどこも同じだと岡本さんが言う通り、個性は弱いが誰もが必要な商品を扱うブランド以外に、この地でヒットを生み出すことは難しい



余談
もっと突っ込むと、他人と自分は違うという前提がある下に、皆根本的な部分は同じという真がある。
肌の色も生まれの地も違うけど、皆笑い、美味しく食べ、人を愛す



俺のルームメイトがターバンしてようが激辛カレーを毎日食べてようが気にならない
お互い違う者同士、共通する根がシェアできるだけで十分、他は正直どうでもいい



人間の持つ根っこは皆一緒


違いが極まり立つほど、自分の中でこの想いが強くなる
「違う人」との出会いを求めて外を出た自分の、確信に近い収穫だ


バンクーバー文化が「妙に居心地がいい」理由がふと分かった気がした。