挑戦状

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)を読み返した。
今回は、「おわりに」で書かれた「全く同じもの」と戦うことについて書きたい。



「全く同じもの」と戦うということを読むまで、自分はそのもの自体の存在は知っていたけど、その対象を戦うものとは捉えていなかった。


日本から離れているせいか、その「同じ」ものに出くわす機会は比較的少ないけど、ここ最近でもそれらを経験した事はある。

この本を読み、それらに戦いを挑む人を見なければ、また戦いを挑まれなければ、
それらの影響を受けた上で自分がどのように対処していくかといった、受身の考えかたしかなかった。
また、それらに戦いを挑むという危機感を持っていなかった。


ここでいう「それら」を本から引用したい

「時代の変化」への鈍感さ、これまでの習慣や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対極にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方・・・

この本の最後に齋藤さんと梅田さんは、私達の内部に根強く存在する「まったく同じもの」に対して戦いを挑んでいる。


この挑戦状を読むまで、自分はここに戦いを挑むことを知らなかった。
あまりにも自然に受け入れ、ネガティブながらもどこか反抗しきれない、あって当たり前のような存在として接していた。


ここ最近の「全く同じもの」との自らの体験としては、大学の進路の事で相談した時のことだ。
自分が大学の授業料で悩んでいると話すと、
「その時は、そこまでだったって受け入れるしかないよ」と諦め方を差し伸べてくれた。


この時、肩の力が抜ける無力感を味わった同時に、今いる経済的なクラス、学力のクラスから自分が抜けることへの抵抗力を感じた。


今ある経済力では、出来る事と出来ないことがあるんだよ。
俺たちのクラスでは、いけないところがあるんだよ・・・と



この時自分は、戦いを挑むといった姿勢よりも、正直いうと今いる場にとどまるといった諦めを意識し、肩の力が抜ける想いがあった。




でも、今こういった「全く同じもの」に挑む彼らと出会い、自分自身にも挑戦されていることを知った。
なら、俺も戦う。





敵は見えた。
そしてそれは自分の中に根強く残り、周りにも根を張っている。





まずは、それらを遮断する。
耳に入っても、拒絶反応すること。


そして、自分の中にある根を、心の糧になる言葉を読む繰り返し、積極的に行動することによって根こそぎ抜き取る。



まずはそこから始める。
この戦い、挑みます。