卒業証明書は自分探しの回答書ではない
これからの進路を考える上で絶対に忘れてはならないことに今日気が付いた
大学は勉強するところであって 自分探しの答(将来やりたい事とか)を見つけるところではない
カナダに来た理由は勉強
だから勉強する
だから学校にいく
だから大学に行きたい
学校では、シンプルに学問的好奇心を追求する事に専念し
必ずしも自分探しや将来の自分と重ねあわせて考える必要はない
自分の将来を考え、どのような人生を歩みたいか考える事は重要だけど、
それと学校をかならずしも一致させなくてもかまわない
むしろ俺の場合、学問への好奇心は単独で追求し、
自分の将来とは一線を置いたほうがシンプルで進みやすい
俺が数学に魅了されるのは、ここに将来のやりたいことがあるからではなく、学問的好奇心が躍動するから。
Fundamental theorem of calculus の Newton's Approach の授業を受けたときとか
Newtonのずば抜けた頭のキレに感動した
そういった彼らの視点を数学を通じて共有出来る事が本当に刺激的で楽しい
いくら考えてもわかんない数式でも 先生のところに持っていくと、魔法のように解いてみせる
俺よりか遥に頭のいい人の目や考えを観ること 体感出来る事がここで勉強する最大の楽しみであり刺激になる
そう 学校はそういった刺激を追い求め ずば抜けた天才達の頭脳を学ぶ場
俺はここで勉強する
大学にいって自分探しの答を見けようと試みる事は止めた
学問的好奇心あるがままに勉強するんであって
「Everything else is secondary」