Independent and Dependent

授業料、食費、遊び代、家賃、そしてコーヒーの一杯にいたるまで自分は親のお金を使いここ二年間生活している。
そんな自分に時には苛立ちを覚え、時には親への感謝でいっぱいになる。


そんな自分は去年、一つ大きな目標を作った

"100% Independent"



4年間の学生生活の間に、授業料と生活費を自分で払えるようになる。
生活費を払えた段階でIndependent 50%とし、授業料も払えたらIndependent 100%
こんな目標を立てた。

この目標の意味は、自分が親へ完全に経済的依存していることへのどこか認めがたい事実を克服することと、自分自身で経済的独立を成し遂げる事への大きなステップとして掲げた。

親へこれ以上面倒をかけるわけにはいかないとかいう気持ちよりかは、自分自身の独立に対する憧れの故の目標だった。






今日、Englishの授業で Victims and Agentsというshort storyを読んだ。
話の内容は、人はそれぞれ違うのだから、全て平等にするのではなく、それぞれ違った対応をしなくてはいけないという話。

その中で自分の興味をそそる考えがあった。
ある一定の恵まれない人を特別扱いして助ることは、その人達の自立を妨げ、結果的にその人たちにとってその助けは害になるという意見に対して、著者は助ける事はその人達を自立する土台や環境を与えているのであって、けして妨げているのではないという。
もしも、ある援助が結果的にその人達にとって害なる事になっても、援助自体を止めるのではなく害にならない援助方法に変える努力をしなければならない。

例えば、国が国民へ授業料や医療費の大半を賄っているのは、国民が国に依存させるためではなく、国民がお金の心配をせずに勉強する環境を与え、結果的に彼らの自立を助けているということ。


この考えを今の自分に照らし合わせた時、自分の状況と重なるものがあり、また新たな捉え方が出来た。

今の経済的な親からの援助は、けして自分の独立を妨げるようなネガティブな働きをするのではなく、自分が勉強や有意義な時間を過ごす事を可能にし、大学等で成功を収めそして独立をするための手助けなんだという事を確信させた。


こういった環境を与えてくれる親に改めて感謝している。
だから、これからのパートタイムの仕事をするにあたっても、それは仕事という経験やお金の貴重さを再確認すること、社会勉強としてやるのであって、親からの独立を第一目標にあげることは必ずしも正しい目標ではないと思う。

親からの援助を無視し、貴重な勤勉の時間や自分の時間を削り、結果的に成績を明らかに落とすような仕事の仕方はしてはいけない。

仕事と勉強を両立し、親の援助を感謝の元に受け取り、自分で稼げるお金と親からのお金のバランスを保ちながら、この貴重な生活を楽しんでいきたい。


より多くの人からの助けを感謝の元で受け取り、より多くの人に助けを与えられる存在になる。
こんなサイクルを常に抱きながら、勤勉 プライベートとパートタイムの両立に向けてこれからお頑張っていきたい。