個人の知識への限界と、シェアの可能性

最近、個人の知識という財産への価値について考え直す事がある。
"Knowledge is power"

この言葉への尊敬と、価値の大きさは変わらない。

しかし、この限られた時間のなか、個人に出来る事は知識を養う事よりも、いかに知識をシェアしそういったシェアされた知識を各個人の中に取り込んでいき、また新たなイノベーションとして再びシェアするといった万人の知識によるシェアのサイクルに大きな可能性を感じ、そういったシェアを可能とする能力に、大きな価値、必要性を感じる。


瀧口範子さんの「シリコンバレー通信」もはや知識はパワーではないはそんな自分の気持ちを明確に捉えた興味深い記事だ。

ラジョウが言うには、今や「アイデア」と「資金」「開発」はひとつの国になくてはならないものではなく、世界に分散しているという。その徴候を示す事象がいくつかある。たとえば、インテルの投資額は2006年度に初めてアメリカ国外向けが国内を超えたこと。あるいはマイクロソフトが中国やインドに研究所を置いて、そこにしか生まれないユニークな未来的思考をすくい上げようとしていること。また、フレクトロニクスという製造請負業者が、世界的なネットワーク体制のもとに設計、製造、パッケージングをやっているようなことである。

 ただし、そうしたネットワークから売れる製品を生み出すためには、「ブローカー」という役割が重要になる。このブローカーこそ、これからの先進国の企業が担うべき役割であるというのが、ラジョウの説である。かくして、知識は自分たちで持つ必要はない、知識をうまくシェアするように仕向けることこそ大切、というわけだ。

大いに賛成である。今こうやって学業に励んでいるが、今全て自分の勉強している事はすでにこの世に存在する知識なわけで、その知識を必要な時に瞬時に欲しい情報を検索出来る環境がここにはある。

自分の限られた時間、能力を有効活用するためにはこういった現在する豊富な万人の知識を使って、また新しいイノベーションを発案すること。

serchableな情報を自分の知識にするために日々の時間を費やすより、今 目の前にあるwisdoms of crowdsを自分なりに有効活用して、知識をうまくシェアしながらまた新しいイノベーションを作り上げる事に価値があるのだと思う。

学校や本からの知識も大切だ。でも今の自分に必要なスキルの一つに、いかに多くの人と知識をシェア出来、そしてシェアされた知識をいかに上手く自分に取り込み、自分らしい形に変えていくかという能力が間違えなく必要となってくる。

そしてそのようにして築かれた知識、アイデアイノベーションをまたいかに多くの人にシェアでき、社会に貢献していくか。こういった能力をこれからさらに伸ばしていきたい。

その一環にこのブログが存在し、ほかにもYouTube, web phto albums等、様々な現在するすばらしいサービスを使いながらシェアする喜び、可能性や価値を自分の肌で感じていきたい。