俺の見たグローバル

今さっきCMPT307のファイナルが終わり今夜はCMPT383のファイナルだ。
休憩のついでに散歩しながら思ったこと。


バンクーバーには色んな人種の人たちが住み、「マルチカルチャー」といった言葉がよく似合う街の一つだ。

マクロに見たら多様な人種が共存し、色んな民族が混ざったかのように見える。
でもミクロの世界で見ると必ずしもそうだとは限らない。

ブロック単位でそれぞれの人種が集まり、「小さな街」を作る。
インド人街があり、中国人街があり、韓国人街にヨーロッパ人街がメトロバンクーバーには無数に存在する。


学校の中でも、同じ人種の友達同士が群れをつくり、サークルやイベントを行う。
インド関連の集会にはやっぱりインド人が集まり、アジア人が運営するイベントにはその仲間が集まる。

キャッチフレーズは「グローバリゼーションを生き抜く21世紀のプログラム」とでも歌うSFUと中国のトップ大学との提携プログラムに参加する中国人の学生らもいつも中国人の輪をつくり、クラスを共にし母国語を話しながらバンクーバーにあるチャイナで生活している。


自分のまわりも肌の色の同じアジア人の友達が圧倒的に多い。
多分バンクーバーにはオプションがあるからこういったことを可能にするんだと思う。

自分が白人しかいない田舎町に放り出されたらそりゃ白人の友達しか出来ない。
でもこうやって似通った人が一定人数いる場合には、自然とその人達との交流が深まる。


世の中はこれからもっと人の流れが活発になり、ボーダーレスになっていくかもしれない。
でも個人単位でみる社会はそれほど「グローバル」にはならないんじゃないかと思う。

アメリカに行っても日本人は日本のニュースを見て、スリランカ人はスリランカパブに集まり母国のクリケットの試合に夢中になる。


下の写真はフェイスブックでのフレンドシップをVisualizeしたもの

恐らくフェイスブック上で人種ごとにどういった人種とコミュニケーションをとっているかといったデータを見ても面白いと思う。

このトークも面白い。


さて、俺はこの「グローバル」をどう楽しむか。
とくにまとまりがない話だけど、こんぐらいにしとく。

今夜のテスト、頑張るぞ!